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13件の議事録が該当しました。

該当会議一覧(1会議3発言まで表示)

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1959-12-23 第33回国会 参議院 本会議 第18号

すなわち、仏印特別円支払いは、ベトナム賠償とは二重払いではない。これは日本フランスとの間の債務決済であって、戦車によってベトナムがこうむった損害に対する賠償とは全く性質を異にするものだということが明らかにされました。また、日本フランス戦争状態に入った時期の問題は、政府の認定している通りドゴール政権確立の時期と見るのが最も適当であると信じます。

笹森順造

1959-12-22 第33回国会 参議院 外務委員会 第24号

一部に、今回の対ベトナム賠償支払いは、一九五七年三月末にフランスに対して支払われたいわゆる仏印特別円と二重払いになるとの議論がありますが、これは日本国フランスとの間の協定に基づく戦前債務決済の問題と、サンフランシスコ平和条約第十四条(a)項に基づく義務の履行としてのベトナムに対する賠償支払いとを混同するものであります。

井上清一

1959-12-21 第33回国会 参議院 外務委員会 第23号

ところでこの仏印特別円に対して、日仏間のこの開戦が及ぼす影響につきましては、日本側見解フランス側見解は必ずしも一致しておったわけではなかったのであります。終局的に四十八万ドル及び十五億円とを支払う、日本フランスに支払うということによって、この債権債務関係について一切これで処理をつけろということに両国の間に合意を見たのであります。

岸信介

1959-12-19 第33回国会 参議院 外務委員会 第22号

政府委員西原直廉君) 仏印特別円問題の解決によりまして、旧正金銀行仏印特別円帳簿残高十三億一千五百万円及び約四十八万ドルの帳簿上の債務を免かれることになります。この金額と、これに対する利息相当分の合計、先ほど申し上げました約十六億七千三百万円を閉鎖機関特殊清算に関する法令に従いまして国庫に納付せしめたわけであります。そういうことで数字がただいまのようになります。

西原直廉

1959-12-19 第33回国会 参議院 外務委員会 第22号

国務大臣藤山愛一郎君) 現在仏印特別円処理の問題に関しまして私が答弁申し上げたことが今の政府統一解釈であって、当時おそらく愛知官房長官としては、仏印特別円昭和十六年から終戦まで続いていた、それの総体的な問題を解決する意味において十六億七千二百余万円は払ったという意味において答弁いたしたと、そう考えております。

藤山愛一郎

1959-12-09 第33回国会 参議院 外務委員会 第14号

それは時計全部、カメラ類、双眼鏡全部、貴金属類全部、仏印特別円ピヤストル全部、こうなっております。なお「当時の記憶よりすれば、時計集結人員の殆んど全員持ってゐた。」カメラは約一万ほどあった、取られたのが。「従って右数量が押収されたわけである。仏印特別円は、将校は一人平均四五〇〇ピヤストル位で、全然所持していなかった者は皆無でありました。

辻政信

1959-11-25 第33回国会 衆議院 外務委員会 第15号

ただいま仏印特別円処理議定書の署名につきまして事前に国会承認を経なかったのはどういうことかというお尋ねだと存じますが、これにつきましては、本件議定書は、お尋ねの中にございましたように、新たなる債務ではなく、既存債務の額を確認いたしまして、その支払いを約するものでございますので、そういう関係から国会承認を経る必要はないと考えたものでございます。

西原直廉

1958-03-03 第28回国会 衆議院 本会議 第12号

さらに、仏印特別円賠償との関係特別円処理に当って国会承認を求めなかった理由等について質疑が行われたのであります。これに対し、政府は、「ヴェトナムに対しては、日本軍進駐に伴い、軍事的行動による物心両面損害と苦痛を与えたものであり、たとい小規模とはいいながら戦闘行為もあったので、サンフランシスコ平和条約第十四条の定めるところにより賠償することにしておる」という答弁がありました。

江崎真澄

1958-02-28 第28回国会 衆議院 予算委員会 第14号

仏印特別円につきましては、ただいま岡田委員の御質問は、十九年八月二十五日以後、しからばそういう取りきめに基く勘定のオペレーションはなかったかというような御趣旨のように拝聴いたしておるのでございますが、どこまでも、支払いましたものはこの十九年八月二十五日以前の、すなわち平和条約十八条に定める戦前債務についてのみ払ったわけでありまして、これが第一点。  

正示啓次郎

1958-02-28 第28回国会 衆議院 予算委員会 第14号

○林(修)政府委員 実際に日本特別円が累積していった過程は、私は一々詳細には存じませんし、これは関係政府委員から必要があればお答えしますが、御承知のように、昭和十五、六年以降仏印特別円協定は結ばれております。しかし、それ以降仏印において日本が使った軍費あるいは物資調達の代金が累積して、かの特別円になっております。

林修三

1958-02-28 第28回国会 衆議院 予算委員会 第14号

結局、仏印特別円として日本側払いましたものは、それ以前の日本仏印における軍費あるいは物資調達関係特別円、かように考えております。ただ、その点の解釈については、先ほど官房長官からお話がございました通り日仏間には必ずしもはっきりした意見の一致はしておりません。しかし、日本側としてはそういう見解のもとにこれは処理したものでございます。

林修三

1957-03-01 第26回国会 衆議院 大蔵委員会 第7号

当時は、イタリア特別円仏印特別円この問題について今お話がありましたが、三十六億でございますとか、そういう数字についてまだそう激しい折衝も行われておりません時代でございましたので、大体の帳簿資産額を見まして、正金資産と見合せて返済額をはじき出したのであります。その後資産が若干ふえたので、五十五億に上げた。

向井正文

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